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人生は縛りゲーだ!!って考えると楽になるかも説

縛りプレイって知ってますか?

今日は「人生は縛りプレイだ」という話を

したいと思います

縛りプレイってどういうことかって言うと

テレビゲームで RPG とか冒険をしたりするゲームがあるんですけど

あれを1回クリアすると2回目とか3回目

また新しく進めて行く時にもうすでにやり方を知っているから

簡単すぎて面白くなくなったりしますよね。退屈になる。

 

なのであえて「しばり、ハンデ」を作って2周めをやるんです。

回復の薬を使わないとかあえて強い武器を使わないとか

そのゲームをあえて厳しくしてクリアを目指すっていう遊び方があるんですよ

 

ハンディキャップをわざと持たせて

ゲームを面白く進めていこうて言う考え方があるんですけど

で。人生にもそれが適用できるんじゃないかと。

 

つまり人生も、楽ちん過ぎたらツマラナイと思うんですよ。

 

なので、いまできないことや、苦手なことっていうのは

人生というゲームを楽しむための

縛り なんだと。

余裕過ぎたらツマラナイから

あえて設定してるんだというふうに捉えてみる。

考え方が遊び感覚と思われるかもしれませんけど、

遊び感覚のほうが楽しいと思います。

 

 

私の場合は、子供の時、親が人間不信&お金を使わないっていう性質だったんですよ。

 

だから自分もそのパラメータを引き継いでまして

お金の価値観だったり人間関係の部分に

まあハンディキャップと言うか得意じゃない所があるんですよ

 

ツライなーとか。最悪だなっておもってたんですけど。

捉え方を変えてみました。

これは縛りプレイなんだと!

面白くするために、苦手なこと、できないことがあるんだと!

 

少しずつ解消して行ってレベル上げをしていくゲーム

レベル上げを楽しむゲームっていう風にとらえるわけです。

ただ単にそのハンデを苦しい嫌だって言ってたらずっと苦しいと思うんです。

なので一旦それをもしょうがないっていうふうに受け入れる・認める。

いいじゃんもうしょうがねえよなーーみたいな

 

たとえば生まれつき目が見えないとか生まれつきちょっと耳が悪いとか

生まれつき手がないとかね

そういう人ってあると思うんですけど

ハンディキャップですよね

それって悔やんでもムカついてもしょうがないじゃないですか

 

自分の家は毒親だったとか自分の家は貧乏だったからってのも同じ。

とか言ってムカついて恨んでもしょうがない。

 

なのでそこはもう自分のハンデとして認める

それがいいんじゃないかなと僕は思ってるんですよ

まず認めるですよね

第1段階は認める

第2段階にとしては自分という勇者のレベル上げを楽しみながらして行く

 

レベル上げすると何が面白いかって言うと達成感も得られるし

楽しもうという視点に変えられるんですよね

 

何かができない状態からできるようになったことがある人って分かると思うんですけど

できなかったことができるようになる

その過程ってちょっと面白かったりしません?

 

途中で何かそのイベントが起きたり失敗とかもあるかもしれないんですけど

じわりじわり成長してできるようになって

慣れて平気になっていくっていうのって

何か面白いなって思ったことありませんか?

楽ちんになったなー気分いいなって。

 

勉強とかスポーツとかやってる人もしかしたらちょっと経験あるかなと思うんですけど

それに似てるかなって思うんですよ

苦痛を感じるのが減って、普通に感じる時間が減っていくから楽になります。

 

例えば挨拶が苦手で恥ずかしがり屋っていうのが

僕は子供の時ものすごくあったんですよ。

高校生ぐらいまで。

それが少しずつ人に話しかけてもいいんだとか

人に冗談言っても嫌われないんだ、、

とかなってきてちょっとずつですけど

いろんな人と関わったり仕事とかしていて面白くなってきたんですよね

 

そういうふうになれるので、

今感じてる苦痛とかできないことっていうのは、

しばりプレイをしてるだけなんだと思ってみる。

変化を楽しむための一時的なパラメータと考えてみるのおすすめです。